昔、丹下桜さんはラジオ「もっと!ときめきメモリアル」のパーソナリティをしていましたが、なぜ丹下さんが選ばれたのでしょうか。
丹下さんはときメモのゲームには出ていなかったし、当時はまだそれほど有名でもなかったと思うので、選ばれた理由がわかりません。
わかる方がいらっしゃいましたら教えてください。
文化放送の当時のラジオ番組の、
「もっと!ときめきメモリアル」は、土曜深夜の時間枠ですが、
現在だと、同じような時間帯で、
「田村ゆかりのいたずら黒うさぎ」が放送されています。
この、土曜深夜の文化放送のアニラジ枠は、
当時もずっと、キングレコードやコナミのスポンサー枠でした。
前後の年月の番組は、
國府田マリ子さんがパーソナリティをしていた、
「ツインビーパラダイス」です。
1993年10月~94年春が、
「ツインビーPARADISE」でラジオドラマ第1期。
1994年10月~95年春が、
「ツインビーPARADISE2」でラジオドラマ第2期。
1995年10月~96年春が、
「もっと!ときめきメモリアル」で、
丹下桜さんがパーソナリティ。
1996年4月~1997年3月が、
「ツインビーPARADISE3」でラジオドラマ第3期。
この当時は、野球ナイターラジオ放送の無い秋冬シーズンに、
深夜のアニラジ番組枠が増える(ナイターシーズンは枠ナシ)
ということも、各地のラジオ局で多かったです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%93%E...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%81%A3%E3%81%A8!%E3%81%A8%...
「もっと!ときめきメモリアル」の後半のラジオドラマは、
ラジオ放送後にキングレコード(コナミレーベル)から
ラジオドラマCDシリーズで発売されています。
~featuring ****~、のように毎月発売されて
いました。番組の終わった翌年も、コナミ&キングレコードが
「月刊ときメモ」のシリーズで毎月CDを制作して売っていました。
夏休みや春休みに、各地でイベントキャラバン(番組の公録)も
やっていました。この頃のアニメイトは、まだ今のような立派な
ビルではなかった頃ですが、アニメイトでのCD予約時に
イベントチケット配布という形で当時から行われています。
イベント会場でも、キングレコードやアニメイトのスタッフさんが
CD予約などもいろいろやっていました。
で、番組前半の丹下桜さんのパーソナリティコーナーのほうですが、
ラジオ番組が始まる1年前の1994年春に、丹下桜さんが、
青二塾東京校の14期生として新人声優デビューしています。
1994年の時点で、丹下桜さんは、「忍たま乱太郎」や
「ママレード・ボーイ」(主役や挿入歌で國府田マリ子さん)
に出演していますので、國府田マリ子さん関係の仕事に
呼ばれる機会もあったはずです。
声優事務所の場合、芸能事務所と違ってマネージャーさんは
少ないほうなので、同じマネージャーさんが複数の声優さんを
担当したりしますし。
1994年春にPCエンジンのCD-ROMゲームで発売された、
最初の「ときめきメモリアル」のゲームや、94年~95年初めに
発売されていた3枚のドラマCD(ラジオ放送より以前)の頃に、
コナミやキングの音楽スタッフさんもいろいろ作っています。
~featuring ****~と付いてるCDも、
途中からラジオドラマ収録のCDに変わります。
最初の、ときメモのドラマCDは一部独自キャストなので、
石田彰さんや久川綾さんや國府田マリ子さんや
緒方恵美さんなども出演しています。
文化放送のアニラジを当時やっていたのは、
「おたっきぃ佐々木」さんですが、
ツイパラ2の後の番組企画で、ときメモの番組を
やる流れになっていたようで、
(おたさささんも、PCエンジンで遊んでた)
ちょうど青二が新人として売り込んでいた、
丹下桜さんを起用することになったようです。
当時はまだ東京ゲームショーは無い頃で、
(おもちゃショーはあって、ツイパラの公録イベントに
國府田マリ子さんが来たり)、
幕張メッセで1995年春にやってたゲーム各社が集まったイベントで、
「もっと!ときめきメモリアル」の番組開始公録ステージがあったので、
おたさささんやコナミのスタッフさんなどが、
会場でまだ新人の丹下桜さんをサポートして、収録が行われていました。
アメリカの大学院に留学に行ってた金月真美さんも飛行機で呼んで
公録に来てたりしました。
この後の頃のラジオ番組のほうは、ツイパラ3の後は、
「CLUB db」に変わって、桑島法子さん(青二塾東京15期)が
パーソナリティをやるなど、丹下桜さんの後にデビューする
声優さんも登場してきます。
おたっきぃ佐々木さんが作った他のラジオ番組など、
文化放送の現在の「アニメ&ゲームゾーン」のように、
アニラジ番組が非常に増えた時期です。
丹下桜さんの場合、デビュー直後からアニメやゲーム出演も
多いので、(「スーパーリアル麻雀PV」とか)、
新人声優さん起用で何かという場合に、当時は、
どんどん呼ばれて選ばれまくった人というところです。
(で、仕事増えすぎて数年後に休業、という部分もありそうで)
この当時は、CD-ROMゲームや衛星(BS/CSやケーブル)アニメ
やOVA(VHSやレーザーディスクや、少し後でDVD)の新作は
多かったから、仕事の多い有力新人声優さんは目立ってた頃です。
その当時、コナミでは金月さんではなく、藤崎詩織が曲をリリースする形を採るなどのセールス的な理由で金月さんをパーソナリティに出来ず、かと言って所属アーティストであるマリ姉はときメモに出てないし、当時はちょうどGMが始まったばかりで抱えられない状態のとこに、ちょうど現れた期待の新人が丹下さんであり、運よくコナミから歌をリリースするとこになったため、db枠といわれる枠でときメモの番組をやってました。
ちなみに番組開始時点でラジオドラマは録り始めてますね。
出てましたよ、丹下さん。
本編シリーズにはいませんでしたが、ドラマシリーズ「虹色の青春」や「彩のラブソング」の秋穂みのり役でした。
「それが私のいいところ」「今はまだ遠いLove Song」などの挿入歌も歌っていて、その頃からファンでした。
(丹下さんの声だというだけの理由で、ラブプラスかいましたし・・・)
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